すごい時代になりました。まるで悪い夢でも見ているようです。
それまで隠れていた汚れの極一分が浮き出てきたような世の中。
それらの汚れに、いったいどれ程の人々が気付いているでしょうか。
現代は、大聖人様の時代とは比べ物にならない程の五濁悪世。科学が発達した分見えにくい。
日本も含め世界には、所謂外道思想が充満している。その成れの果て…とも言うのでしょうか。
大乗の国だと言われていた日本は、もはや昔の話なのだとも感じる。それが今の日本の姿として見えてくる。
信仰の有無関係なく、知らず内に外道思想に染まってしまっているのではないでしょうか。
一方で、それでも大聖人様の御出になった日本…、僅かながらも諸天に守護されているとも感じる。
道理に基づけば、世の中の事もそれなりに正しく見極める事ができるはず。その一分をこの騒動で試された様にも感じた。
不幸中の幸いと言うか、現代には情報を得る為のツールはある。そのツールを活かすも無駄にするもその人次第。
今回の騒動は何だか宗教と被るものが多い。
お上の発信する事、勧めるものを考えもせずに信じ、受入れてしまうのかどうか…。
鎌倉時代の人々も、お上の認める宗教を深く考えもせずに受け入れたのかも知れない。
またワク・リスクの情報を知って欲しくて人に伝えると、まるで折伏した時の様に罵られる事もある。
権力や多勢に傾きやすい心理も重なって、同調圧力に苦しんだ人も少なくないでしょう。
世法も道理が大切。常日頃から道理を基本に物事を判断する意識の癖をつけていないとイザという時忘れてしまい、権力や多勢に流されてしまう。
私の場合で言えば、もしこの信心をしていなかったら気付けなかったかも知れない。
今回の騒動での私の判断の根底には大聖人様の仏法があった。
本当に感謝しかない。同時に自分なりの様々な気付きや学びもあった。
人生の中で、日頃の生活の中で活かされてこその信心。心肝に染める事の大切さ。一生が学びであり修行。
正しい宗教を『正しく信仰する事』が何より大切で、どちらが欠けても世の中は決して良くならない。
世の中をよくよく見渡しながら、信仰の有無に拘わらず、己心をしっかりと見つめ直す時代だとも思う。
まるで物質文明から精神文明への移行の様な空気にも感じる。
大切なのは箱ではない、中身…つまり大聖人様の御心そのもの。
しっかり開いて世を照らせ。