私くしが これからここに記す事は、実際に自分が身を持って[三次元]現世に一人の人間として生きていながら、四次元・霊界と言われている[法界]を自ら体験した事を事実に基づいて記しており、決して受け売りでも創作でもありません。
唯、私くしは長い間、最高の仏法であると言われている「大聖人様の仏法」を修行して来ていながら、今、巷で色々とブームになっている「霊界」と言う事に対しては、あまりにも知らなさ過ぎるのではないでしょうか。
世間では唯、人間は死んでしまえば何もわからなくなってしまうとか、迷信だとか、そんなものは魔の通力に過ぎない等等と簡単に片付けてしまって良いものでしょうか。人間は生命ある限り誰しもが生死と言う事には一番関心を持っているはずなのですから。
今や日本は世界の経済大国とまで言われ、国民の生活も昔と違って贅沢になって、街には物があふれていると言う時代に、民衆を最高の仏法へ導くには、果たして功徳論 だけで人は納得するでしょうか。そして心の時代とも言われている今日、人々は物よりも心を求めているのではないのでしょうか。
そうです。その心の支え、力となり人々を幸福へと導いていける教えこそ、大聖人様の教えでなくてはならないし、他の何物でもないのです。
その教えを修行している私達こそ他宗の誰よりも、もっとも人間の生命の本質・実態と言うものを事実に基づいて、かつ具体的に人にわかり易く教えられるような自分達になって行かなければ、人はとても信じてはくれないでしょうし、救っていく事は出来ません。それには先ず、自分がすべてを知って行く事です。(中略)
本当に大聖人様が、おっしゃられているような成仏と言う最高の境界を得る事が出来るのでしょうか。私は常に自問自答した末、遂に決意せざるを得なくなったのです。
「そうだ、これは誰が何と言っても自分で知るしかない。自分の命で知って行くしかない…」そのような決意をした時、不思議と胸が熱くなるような確信が湧いてきたのです。私が、この仏法を修行して行く上に於いて、必要があるものならば、今までにどなたにも教えて頂けなかったようなもの…。
私くしが求めている「大聖人様の真の法」と言うものはどう言うものなのか、必ず教えて頂けるに違いない。そう思っただけで何か、自分の胸に一筋の光明が見えてきたような気さえしてくるのです。
そう思った事によって、余計な事には一切、振り回される事なく、「真の法を知りたい」と言う一念で、毎日毎日の唱題も楽しく、すがすがしい心で、心行くまで唱えられる自分に変わって行ったのです。
そして2年。昭和56年3月13日の御講の夜です。
家で同志と共に勤行唱題中に突然、仏壇の御本尊様の所からすごい光を見たのです。
私くしは思わず後ろに倒れそうになったくらいでした。これは側に同志もおりましたので共に見ております。
この日を契機に私くしの生命状態が急に変わり始めました。
相次 ぐ不思議な現証に現証、不思議な体験、正に法界の存在を、有り有りと身を持って教えられ始めたのです。
これは後になって「法の方」から教えられた事なのですが、あの時、仏壇から発した光は御本尊様からではなく、『其貴の生命から発したものである』と言われたのです。それが、御本尊様という自分の心を写す名鏡に反射して、自分の方に還ってきたものではないか、とも推測されます。
これは、どういう事か良くわかりませんが、その時は法華経「法の方」…、つまり私くし達を守っていて下さる方でさえ凄い光で、とても周りにはいられない状態であったともおっしゃられていました。
本当に不思議で妙な事です。自分から発したもので自分が驚くとは…。
そして10年。色々と法華経[法]からの厳しくも慈悲あふれる御指導・御指示・御協力があったればこそ、今の自分があるのだという事を、厚く感謝申し上げ、今まで私くしが数々の体験した中から最も印象に残っている霊界(法界)体験のひとつを「天上編」と題して紹介致しましょう。
平成2年2月2日