鈴木さんは「班長、大変です!」と言うのです。
「どうしたの?」と私が聞くと、「大変!大変!とにかく大変なの!」と言うのです。
私くしは「しっかりしなさい」と言ったのです。
すると鈴木さんは、やっと冷静を取り戻したように話し始めました。
「何と言って良いのか…とても言葉には出せない」と言うのです。
それは、「私くしと電話を切ってから五分も立たない内に、シャンデリアのパッシングの光が更に増したかと思うと、突然部屋の上からものすごい花吹雪が始まって目も開けていられないくらいです。」と言うのです。
「それこそ部屋から、こたつの上から、絨毯の上から、もうもう花吹雪で一杯です。」
また、「四方の白い壁には、アジサイの花くらいの大きさのピンクの摩訶曼殊沙華(四種の花の一つ)がギッシリ咲いていて、その状態が延々と続いて留まる所が分からない。」と言うのです。
正にそこが、そのまま霊山と化してしまいました。
何と言う不思議な事で、一体これはどうなってしまったと言うのでしょうか。
部屋から出る事も出来ず、今こたつの中に入ったまま、釘付けになってしまっていると言うのです。鈴木さんは「これではとても今夜は眠れそうもない」と言うのです。
これは不思議と言えば不思議・不思議でないと言えば当たり前。
大聖人様は
「我々真実の法華経を持ち 心より題目を唱行している者は、一日の内に霊山を何回も往復している」(趣意)とおっしゃられて居られます。
唯分からない、目に見えないと言うだけなのです。十方はすべて法界であるけれど、皆我が一心におさまっているとおっしゃられておられます。ですから、我々の心・即・法界と見るべきでしょう。そこに仏界を涌現するのも地獄を涌現するのも皆、自分の一念、心によるものではないのでしょうか。
鈴木さんの場合は、素直な心で真実の法を求める一念、それを先輩として教えて上げたいとする私くしの一念が一体化した時、お互いの心の中には真実の法のみ有って他に何もなく、お互いの心と心から発する一念が、偉大な力・エネルギーとなり、それが頂点に達した時、仏界(仏の世界)を涌現し、それが四次元に留まらず、三次元にまで映像となって現れて、それを現世にいながら肉眼で見せて頂けた事と推察致します。
以前にも〔法〕からのメッセージの中に
「天より散らす四種の花 我が身に集めて 正しき門出」と言う御言葉と共に
「何時もそなた達の一挙一動、我々が見ていると言う事を忘れるでないぞ」と言う御言葉まで頂いております。(中略)
これからも、この世に命ある限り、皆様と共に一人でも多くの方々をこの真実の法に導いていく事を心に誓って行こうではありませんか。
大聖人様より賜った御金言一句
「我が心の ますらおは猛き人より 優れたり」 (昭和62年7月9日)
『ある体験から』終わり