ある体験から⑨

鈴木(すずき)さんは「班長(はんちょう)大変(たいへん)です!」と()のです。

「どうしたの?」と(わたし)()と、「大変(たいへん)大変(たいへん)!とにかく大変(たいへん)なの!」と()のです。

(わた)しは「しっかりしなさい」と()たのです。

すると鈴木(すずき)さんは、やっと冷静(れいせい)()(もど)したように(はな)(はじ)ました。

(なん)()()のか…とても言葉(ことば)には()ない」と()のです。

 

それは、「(わた)しと電話(でんわ)()てから五(ふん)()ない(うち)に、シャンデリアのパッシングの(ひかり)(さら)()たかと(おも)と、突然(とつぜん)部屋(へや)(うえ)からものすごい(はな)吹雪(ふぶき)(はじ)って()()ていられないくらいです。」と()のです。

「それこそ部屋(へや)から、こたつの(うえ)から、絨毯(じゅうたん)(うえ)から、もうもう(はな)吹雪(ふぶき)一杯(いっぱい)です。」

また、「四方(しほう)(しろ)(かべ)には、アジサイの(はな)くらいの(おお)さのピンクの()()(まん)(じゅ)(しゃ)()四種(ししゅ)(はな)の一つ)がギッシリ()いていて、その状態(じょうたい)延々(えんえん)(つづ)(とど)(ところ)()らない。」と()のです。

 

(まさ)そこが、そのまま霊山(りょうぜん)()してしまいました。

(なん)()不思議(ふしぎ)(こと)で、一体(いったい)これはどうなってしまったと()のでしょうか。

部屋(へや)から()(こと)出来(でき)ず、(いま)こたつの(なか)(はい)たまま、(くぎ)()けになってしまっていると()のです。鈴木(すずき)さんは「これではとても今夜(こんや)(ねむ)そうもない」と()のです。

 

これは不思議(ふしぎ)()不思議(ふしぎ)不思議(ふしぎ)でないと()えば()(まえ)

大聖人(だいしょうにん)(さま)

我々(われわれ)真実(しんじつ)法華経(ほけきょう)(たも) (こころ)より題目(だいもく)唱行(しょうぎょう)している(もの)は、一日(いちにち)(うち)霊山(りょうぜん)何回(なんかい)往復(おうふく)している」(趣意(しゅい))とおっしゃられて()れます。

(ただ)()らない、()()ないと()だけなのです。十方(じっぽう)はすべて法界(ほうかい)であるけれど、(みな)()一心(いっしん)におさまっているとおっしゃられておられます。ですから、我々(われわれ)(こころ)(そく)法界(ほうかい)()べきでしょう。そこに仏界(ぶっかい)涌現(ゆげん)するのも地獄(じごく)涌現(ゆげん)するのも(みな)自分(じぶん)一念(いちねん)(こころ)によるものではないのでしょうか。

 

鈴木(すずき)さんの場合(ばあい)は、素直(すなお)(こころ)真実(しんじつ)(ほう)(もと)一念(いちねん)、それを先輩(せんぱい)として(おし)()たいとする(わた)しの一念(いちねん)一体(いったい)()した(とき)、お(たが)(こころ)(なか)には真実(しんじつ)(ほう)のみ()(ほか)(なに)なく、お(たが)(こころ)(こころ)から(はっ)一念(いちねん)が、偉大(いだい)(ちから)・エネルギーとなり、それが頂点(ちょうてん)(たち)した(とき)仏界(ぶっかい)(ほとけ)世界(せかい))涌現(ゆげん)し、それが四次元(じげん)(とど)らず、三次元(じげん)にまで映像(えいぞう)となって(あらわ)て、それを現世(げんせ)にいながら肉眼(にくがん)()(いただ)(こと)推察(すいさつ)(いた)ます。

 

以前(いぜん)にも〔(ほう)〕からのメッセージの(なか)

(てん)より()らす四種(ししゅ)(はな) ()()(あつ)て (ただ)しき門出(かどで)」と()()言葉(ことば)(とも)

何時(いつ)もそなた(たち)一挙(いっきょ)一動(いちどう)我々(われわれ)()いると()(こと)(わす)るでないぞ」と()()言葉(ことば)まで(いただ)ております。(中略(ちゅうりゃく)

これからも、この()(いのち)ある(かぎ)皆様(みなさま)(とも)一人(ひとり)でも(おお)方々(かたがた)をこの真実(しんじつ)(ほう)(みちび)いていく(こと)(こころ)(ちか)()うではありませんか。

 

大聖人(だいしょうにん)(さま)より(たまわ)った()金言(きんげん)一句(いっく)

()(こころ)の ますらおは(たけ)(ひと)より (すぐ)れたり」  (昭和(しょうわ)62(ねん)7(がつ)9(ここのか)

 

『ある(たいけん)から』()