天上編⑦

 ここまで()すと、どれが『あやめか・かきつばた』なんて()言葉(ことば)は、とてもではないですが、ここでは通用(つうよう)しません。

けれど(なお)()観察(かんさつ)して()すと、この(せき)(すわ)天女(てんにょ)(たち)には、(なに)(いのち)から(かん)(べつ)(うつく)さ」と()ものを()ているようにも(おも)たのです。もちろん衣装(いしょう)(ちが)ますから、(さら)霊格(れいかく)(たか)方々(かたがた)だと(おも)れます。

 

(なん)()心地(ここち)()(せき)なんだ。まるでおとぎの(くに)王子様(おうじさま)になったような気分(きぶん)だ。それにしても、また(なん)()(かお)なんだ。(しず)(ただよ)()(かお)(こころ)(とろ)けそうになりそうだ。」

 

四人(よにん)天女(てんにょ)は、(わた)くしの(ほう)へおもむろに(しず)かに視線(しせん)()けると、(しず)かに微笑(ほほえ)みながら、(ころも)(そで)(かる)()って(しろ)(うつく)しい()で『どうぞ』と()うようにテーブルの(ほう)をさしました。

ところが、まぶしくて(かお)をまともに()ることができません。

すると、どうでしょう。(いま)まで()()かなかったテーブルの(うえ)一杯(いっぱい)に、()(こと)がないような飲物(のみもの)御馳走(ごちそう)がズラリと(なら)んでいるではありませんか。

それを()ているだけで、充分(じゅうぶん)満足(まんぞく)()られてしまいました。不思議(ふしぎ)なものです。これが人間界(にんげんかい)ではそうは(まい)りません。

実際(じっさい)()んだり、()べたりしなければ、満足(まんぞく)()られませんが、霊界(れいかい)ではすべて(こころ)だけで、人間界(にんげんかい)実際(じっさい)()(ところ)何十倍(なんじゅうばい)もの(よろこ)び・満足(まんぞく)(かん)()られるのです。

そこが物質(ぶっしつ)世界(せかい)(こころ)世界(せかい)、つまり「(しき)(くう)次元(じげん)」の(ちが)いなのですね。

 

霊界(れいかい)はあくまでも想念(そうねん)世界(せかい)ですから、自分(じぶん)(なん)でもそのように(おも)えば、その一念(いちねん)によって『自分(じぶん)()んでいる世界(せかい)』だろうが(なん)だろうが、どのようにでも自由(じゆう)()える(こと)出来(でき)るのです。

これは自分(じぶん)生命(せいめい)段階(だんかい)霊格(れいかく)〕によるものですが、霊格(れいかく)(たか)くなればなるほど、その(こころ)()一念(いちねん)(ちから)は、偉大(いだい)なものに()わって()きます。

 

これを大聖人(だいしょうにん)(さま)は、『(こころ)(たから)生命(せいめい)進化(しんか)(とも)なって(そな)わる(とく))』とおっしゃられております。

そうです。人間(にんげん)(だれ)でも物質(ぶっしつ)世界(せかい)色界(しきかい))を()わって、(こころ)世界(せかい)(はい)って()けば「(こころ)(たから)」がすべてなのです。

(いま)(わた)くしが()ているこの世界(せかい)も、ここに()んでいる天人(てんにん)(たち)の「(こころ)(たから)」の(あらわ)れなのです。

 

 

大聖人(だいしょうにん)(さま)御書(ごしょ)

(くら)(たから)より()(たから)すぐれたり。()(たから)より(こころ)(たから)第一(だいいち)なり(おお)になっております。

いくら、この()(なか)自分(じぶん)財産(ざいさん)名誉(めいよ)地位(ちい)権力(けんりょく)()(ところ)所詮(しょせん)人間界(にんげんかい)()(うち)だけで、そんなものは霊界(れいかい)では(なん)(やく)にも()たないと()(こと)なのです。我々(われわれ)が、いくら長生(ながい)きしたといっても百歳(ひゃくさい)までは、めったに()られません。

 

されば()臨終(りんじゅう)(こと)(なら)うて(のち)他事(たじ)(なら)うべし』との御書(ごしょ)(なか)()金言(きんげん)も、この(こと)なのです。

今世(こんぜ)一生(いっしょう)懸命(けんめい)()()(こと)大事(だいじ)(こと)ですけれど、後生(ごしょう)(こと)如何(いか)大事(だいじ)であるかと()(こと)(おし)られているのでしょう。

人間界(にんげんかい)()るのは(わず)か780(ねん)ぐらいですが、霊界(れいかい)、つまり〔法界(ほうかい)〕では何百年(なんびゃくねん)何千年(なんぜんねん)、いや、何万年(なんまんねん)()()かなければならない(ひと)(たち)()のです。その(とき)自分(じぶん)(たち)がどのような(おも)で、その(なが)後生(ごしょう)()()かと()(こと)問題(もんだい)なのです。それが今生(こんじょう)でのすべての修行(しゅぎょう)如何(いかん)にかかっていると()(こと)も、()()(かんが)ていくべき(こと)ではないのでしょうか。

成仏(じょうぶつ)()境界(きょうがい)()れるなら(また)(はなし)(べつ)です。「霊山(りょうぜん)」と()最高(さいこう)世界(せかい)永遠(えいえん)生命(せいめい)(いただ)るのですから…。

 

それより、もっと(おどろ)ましたのは、いつ(あらわ)たのでしょうか、(わた)しの()(まえ)天人(てんにん)(たち)男女(だんじょ)(うつく)(ひと)模様(もよう)、いや天人(てんにん)模様(もよう)か…、を(えが)いて大広間(おおひろま)一杯(いっぱい)(あらわ)たのです。

そのいる衣装いしょう姿すがたうつくいのなんって、なんのやら…。自分じぶんおもている十分じゅうぶんいち言葉ことば上手うまあらわこと出来できません。

 まず天女てんにょは、うすくピンクがかったとおようなしろ羽衣はごろも衣装いしょうに、みみくびところにキラキラとかがやかざており、ダイヤでもらしてあるかのようにたび衣装いしょうひかりはなのです。わたしは、うっとりととれておりました。

何時いつとなくしずに、綺麗きれい音楽おんがく広間ひろま一杯いっぱいながはじて、すると、その天人てんにんたち音楽おんがくさそわれるようにしずはじたのです。