『三毒より生まれ、三毒に終わる者もある。
また三毒より生まれ、成仏に達していく者もある。
これをいかに知り、いかに悟るかは、あなたの御信心によるものです。
これも過去からの宿縁なのです。
途中いかなる方法で人を導いたとしても
法華経が故であるならば、おのずと精進の道は引かれていくでしょう。
どちらの道を進むかは、あなたの御信心によるべきものです。
これも、過去からの宿縁にあるならば、頼もしい限りです。』
【昭和58年9月21日夜】
『愚僧は、まだ名もなき僧が故に。
聖人様にお教え頂いた七文字の法華経は一天四海、一切法の源なれば、
相構えて相構えて朝な夕なにお唱え下さるよう、聖人様よりお伝えくださるよう仰せ使って参りました。』
【昭和58年5月17日(火)】
『貴方がたが言われるところの命の段階と、
我々が言うところの生命の段階は少し違っているようですね。
我々の生命の段階とは、用きを言うのです。
法華経の中に説かれている声聞・縁覚の用きは、菩薩を助ける用きを言うのです。
菩薩とは、人々を法華経に導く用きです。
仏界とは、皆様が言われているところの仏の境界。人それぞれ異なった用きを致します。
いつも仏の境界であることをよく心得て御本尊様に南無していく事です。
あなたがたが目指す成仏の道も、間もなく開けて参ります。
これからも御精進なされんことを。いつの世も御仏のご照覧あれ。
正しい仏法はひとつである。見誤りのないように。』
【昭和59年3月12日】
『仏の力は、偉大な力です。力でもあり、光なのです。
無心で御本尊様に南無することです。渇仰於仏・心懐恋慕の心です。
慈悲に代わるものは何もありません。慈悲の心を消すことなく、頑張っていきなさい。
それを生み出すものは、渇仰於仏・心懐恋慕です。
仏と基調を合わせ、仏の境界で、という事になりますか。
皆様を救い上げていってください。いつも見守っておりますよ。』
【昭和59年3月19日】
『御山に詣でて、御本仏の御意に触れてみるのも良いと思うがのう。
法華経に、身と心をまかせる事によって、おのずと開けて参りますぞ。
決して急くことなく、精進にいそしむ事です。心に留めて、心肝に染めていく事です。
御聖訓の一行でも一節でもいいのです。
そしてそれを本当に心から信じ、実践していく事によって成仏できるのです。』
【昭和59年3月28日】
『正しい法はひとつです。命は、かえる事はできません。
せめてもの、貴方の行に対しての行いに連れて参りました。
これからの孝養は、母の御影に対し供養をする他には、母を救う方法はありません。』
【昭和60年1月22日 午後1時40分】
『夜、日蓮に会いたくば月に祈り、昼に会いたくば、日輪に祈りと申せし言葉、そなたは忘れまい。
何をそのような曇り顔をなさる。明るくなされ、明るくな。』
【昭和60年8月30日 午後1時半 大聖人様より】