私くしはよく、勤行の時などに〔法〕の方からのメッセージを頂く事が有りますが、その中で「世界もいよいよ狭くなりましたね」と言われた事があります。それは私達、法華経を唱える者の境界を言って下さっているのでしょう。(中略)
すべて自分の胸中に収まっていると言う事ですから…。私くしが法界にいる同志をお呼びすれば、同時にここに来て居られます。(中略)
お釈迦様が虚空会の儀式の時に全宇宙から、あらゆる仏菩薩・神が、お釈迦様の元に一時に集まったと言われておりますが、宇宙にはまだまだ我々の解からない生命の世界が、たくさん存在している事でしょうね。
これもすべて大聖人様の法によるものです。そんな素晴らしい法を修行させて頂ける…。私達は何と言う幸福者なのでしょうか。
大聖人様は、千日尼御前御返事に
『我等は穢土に候へども心は霊山に住むべし。』とおっしゃられております。
大聖人様より頂いたメッセージの中に
「我がせんだらが家に生まれしは 我、法が定むるゆえん成り あまねく照らす善神も 我が法が定むるによる」
〔昭和62年5月28日〕との御金言まで頂いております。
大聖人様が漁師(せんだら)の家に御生まれになったのは、大聖人様・即・法が自ら、お決めになった事であります。
また太陽や月や星が照ら
しているのも、全宇宙に法則が有るのも皆、大聖人様の法が定めたものによるものであるとおっしゃられているのです。
すると我々地球の生物は、すべて御仏・大聖人様の手によって生かされていると言う事を忘れてはなりません。
ところがどうでしょう。今の世の人々は、そう言う事を忘れ、自分が生きているのは当たり前のようなつもりで、人の迷惑も省みず勝手な事ばかり言ったり、したり、そして自分の思うようにならなければ、ずくに人に責任転換したり、又、甚だしいのは、生きる事の尊さを忘れ、自分が今生に生を受けた事が悪かったような事まで、親に向かって口走る若者達もおります。
生きたくても生きられず、非業な最後を遂げて行く人々の何と多い世の中、実に嘆かわしい事でしょうか。五濁悪世と大聖人様がおっしゃられておりますが、まさにその通りです。
私くしが、大聖人様より頂いたメッセージの中にも、厳しい御言葉がございます。
「悪い世の中になりましたな。人々は皆、己の心性を見失い、真の幸福を知らず、煩悩に走り快楽に身を任せ、堕落の一途を辿ると見えたり。
たまたま正法を唱えし集団有りしかと思えども、それは見せかけのみにて己の栄誉栄達ばかりを謀り、権欲金欲を貪り、営利に走り留まる所を知らず。あまつさえ多くの民衆をたぼらかしたる其の諸行、許し難きものなり。
又僧もしかり。我こそ正法護持の者なりと申せししかども真意を知らず。民衆の事など省みず。いたずらに衣の袖に隠れ営利を貪るのみ。この人命終して飽食餓鬼に入らん。はかなし、はかなし。
政治・教育は乱れ、医師の心は低下し、利益のみに終始し、人々は真の法を知らず、聴聞せししかども取り合わず、今や世を挙げて五濁悪世の真っ只中に突入せんとする時、天は大いに怒り悪鬼乱入す。
各国各所に災起こり難来たりて、民衆の嘆き頂点に達し、心に阿鼻の相を現ぜん時、人々その罪障軽重にかかわらず餌食とならん。おそろし、おそろし。
今真の法を唱行する者、極少数なれどと見え候。しかども、今こそ声高らかに 真の法を唱行せん。五字の光明、益々冴え渡り この人、命終して霊山に生を受くる事疑いなし。あらうれしや、うれしや。南無妙法蓮華経」
ここで、おっしゃられている「集団」とは、どこの団体を指し
ていられるのか。
また真実の法を唱える「小数の者」とは、どなた達を言われているのか。
それは私くし達が推察する以外に解りませんが、世の中が確かにそのような形相を現じて来ている事には間違いはありません。
大聖人様の正法を弘教して行くべき、団体等の中にも色々な問題が起こって来て居ります。
私くし達は、そう言う目の前に現れた現象だけに囚われていたのでは、真実の法と言うものを見失ってしまうのでは有りませんか。
世の中がどのようになろうと変わろうと、大聖人様の仏法は厳然として、大宇宙に我々一人一人の心の中に存在しているのです。それを見出すか出せないかは、私くし達の信仰心によるものではないのでしょうか。(中略)