天上編⑤

何処(どこ)へですか?」(わたし)がそう()ますと、天女(てんにょ)(だま)って(かお)()()かべ、「どうぞ」と()んばかりに、会釈(えしゃく)するようなボーズをしました。

()りました。」(わた)しがそのように(おも)(とき)(きゅう)身体(からだ)浮上(ふじょう)(はじ)たのです。

 「あれあれ?一体(いったい)これ…どうなっているの…?」

(まえ)(ある)(おも)ていたのに(うえ)にあがったちゃった。でも()気持(きも)ちだー。」

 

(わた)しは以前(いぜん)(そら)()(ゆめ)をよく()(こと)があったのですが、それよりも実感的(じっかんてき)です。

もっと(わか)かったらハングライダーに()てみたいと(おも)(こと)さえありますが、そんな気持(きも)ちでしょうか。その(とき)(べつ)(おどろ)(こと)はありませんでした。

すると天女(てんにょ)は、(まえ)(わたし)よりも(すこ)(たか)(さき)()ち、(まい)()ように(しず)()って()ました。そして(わたし)(おな)ように一定(いってい)間隔(かんかく)(たも)って()って()のです。

(わたし)は「(べつ)にヒラヒラも(なに)しないのに、どうして()って()のかな…」と(おも)ながら、格好(かっこう)がつかないので宇宙(うちゅう)遊泳(ゆうえい)みたいに(うで)(ひろ)げてみたりしたのですが…。これが本当(ほんとう)宇宙(うちゅう)遊泳(ゆうえい)でしょうね。

 

不思議(ふしぎ)なもので、そよそよと(かぜ)()(かお)(ただよ)()す。どうやら、この(かお)天女(てんにょ)(はだ)から(ただよ)()ように(おも)ます。

「これはやはり生命(せいめい)(かお)かも()ない。霊格(れいかく)(たか)なればなるほど生命(せいめい)(かお)は、素晴(すば)らしいものになって()()が、これだな。」

(いま)までいた世界(せかい)(した)()がら、どんどん()って()、あんなに(たか)()連山(れんざん)も、段々(だんだん)(ちい)くなって()のです。別荘(べっそう)のように()建物(たてもの)も、もう()なくなってきました。

(わた)しは、そこまでは(おぼ)ているのですが、それから(あと)()らなくなってしまいました。

 

それから、どのくらいたったのか、よく()りません。

(なに)(わた)しの(かお)()ているような(かん)()()き、自分(じぶん)(ひかり)(なか)()ように(おも)ておりましたら、()がだんだん()てくるに(したが)(あた)()()した。

同時(どうじ)自分(じぶん)感覚(かんかく)(もと)(もど)って()ように(おも)えました。

 

(なん)自分(じぶん)はお花畑(はなばたけ)()(なか)で、ふわっとした(なん)()ない感触(かんしょく)()安楽(あんらく)椅子(いす)〕のような(うえ)に、(あし)()ばし(なな)(うえ)()て、両腕(りょううで)(ひじ)()けに()、ゆったりとくつろいで()ような姿勢(しせい)でおり、一瞬(いっしゅん)どうなっているのか()()りませんでした。

そして(すこ)ずつ()()みると、それは花畑(はなばたけ)ではなく何処(どこ)か、お(しろ)庭園(ていえん)のような(ところ)でした。

 

「なんじゃー、 これは…。(そら)()んでいた自分(じぶん)何故(なぜ)こんな(ところ)にいるんだ。()らない。」若干(じゃっかん)途惑(とまど)いました。

()()()()。」自分(じぶん)()()せました。そして(なお)()()みるのですが、どうも、ある一定(いってい)距離(きょり)しか()ません。

自分(じぶん)感覚(かんかく)がおかしくなってしまったのかな。それとも、一定(いってい)距離(きょり)しか()ないようになっているのかも()ない。」

 

(さき)ほど(わたし)(かお)()たように(おも)たのは、(うえ)からチラチラと()って()(さくら)(はな)()()(しろ)(はな)びらでした。

「これが天上界(てんじょうかい)()くと()(まん)()()()()(はな)なのかな。」そんな(こと)(かんが)てみました。

 そして(あた)一面(いちめん)は、(いろ)とりどりに、競う(きそ )ように()いている花々(はなばな)噴水(ふんすい)などが()、その()うには、()(とお)(ほど)青空(あおぞら)(とど)ような金銀(きんぎん)宝石(ほうせき)出来(でき)ているような、(なん)()ますか…(すご)としか言葉(ことば)では表現(ひょうげん)できない宮殿(きゅうでん)が、そびえ()っているのが()ました。

そして地面(じめん)()(あた)風景(ふうけい)()、すべてが(ひか)(かがや)ているのです。まさに(ひかり)世界(せかい)なのです。

この(よう)(たか)世界(せかい)は、まだまだ(わたし)らいの生命(せいめい)状態(じょうたい)ではひとつひとつ、はっきりと見定(みさだ)める(こと)出来(でき)ないのかも()ませんし、また幽体(ゆうたい)離脱(りだつ)ですからハッキリと()(いただ)ないのかも()ません。

 

いずれにしても我々(われわれ)成仏(じょうぶつ)()目標(もくひょう)目指(めざ)して、真実(しんじつ)仏法(ぶっぽう)修行(しゅぎょう)して()(うえ)()て、ひとつの手段(しゅだん)として()(くだ)っているのかも()ません。