天上編⑩

ですから、(わた)(たち)(まこと)(ほう)唱行(しょうぎょう)する(もの)が、仏力(ぶつりき)法力(ほうりき)(いただ)たら、と()ましても(けっ)()通力(つうりき)とは()ないのです。

()通力(つうりき)とは〇〇や〇〇〇〇が畜類(ちくるい)のような(もの)(また)色々(いろいろ)得体(えたい)()ないものを本尊(ほんぞん)()てそれを(おが)、その通力(つうりき)によって(わず)かばかりの(ちから)()られ、それが(かみ)だと(しん)()でしまい、その悪縁(あくえん)によってやがては、その本尊(ほんぞん)(おな)ような姿(すがた)になって、(みずか)自分(じぶん)(ほろ)ぼし、民衆(みんしゅう)まで巻添(まきぞ)えにして()ってしまう(こと)()通力(つうりき)()のであり、正法(しょうぼう)(ぎょう)ている(わた)(たち)(はい)(ところ)()本尊(ほんぞん)(さま)は、あくまでも大聖人(だいしょうにん)(さま)御命(おいのち)なのです。(中略(ちゅうりゃく)

邪教(じゃきょう)病気(びょうき)(なお)たり、ものを()てたり、色々(いろいろ)(こと)をやっておりますが、そんな(こと)正法(しょうぼう)()てやれば雑作(ぞうさ)もない(こと)で、()るに()らないものなのです。

(わた)(たち)信仰(しんこう)目的(もくてき)は、そんな(ちい)なものではないはずです。

 

以前(いぜん)(わた)しが体験(たいけん)発表(はっぴょう)をさせて(いただ)(こと)がありますが、その(ぶん)(なか)で、

(いま)はすべての次元(じげん)超越(ちょうえつ)して自由(じゆう)におうか出来(でき)る。この(いのち)(よろこ)(わた)しにとって、最高(さいこう)功徳(くどく)であり、(たから)です」と(もう)()(こと)がありました。

まさに(いのち)()ものは自分(じぶん)(こころ)次第(しだい)では、自在(じざい)神通(じんづう)発揮(はっき)する(こと)出来(でき)るのです。

ですから、(わた)しが〔(ほう)〕の(かた)から()指導(しどう)(いただ)()金言(きんげん)(たま)ると()(こと)思議(ふしぎ)(こと)でも(なん)もなく、成仏(じょうぶつ)目指(めざ)し、(まこと)(ほう)修行(しゅぎょう)して()(もの)ならば、当然(とうぜん)(こと)なのであります。(中略(ちゅうりゃく)(けっ)(かぎ)れた(もの)だけと()(こと)でもありません。ただひとつ()(こと)は、いかに(まこと)(ほう)(ちか)()けるかと()(こと)です。それまでには、幾多(いくた)()や、鬼神(きじん)との対決(たいけつ)覚悟(かくご)せねばなりませんが、これは修行(しゅぎょう)ですから当然(とうぜん)(こと)なのです。

大聖人(だいしょうにん)(さま)(うえ)()殿(どの)(やまい)をお(なお)になられた(とき)鬼神(きじん)喝破(かっぱ)なされた(こと)は、あまりにも有名(ゆうめい)ですが、(わた)しのような(もの)でさえも、魔王(まおう)また鬼神(きじん)何回(なんかい)(いのち)(ねら)われた(こと)もありました。

その(たび)守護神(しゅごじん)十方(じっぽう)諸仏(しょぶつ)(おん)方々(かたがた)()力添(ちからぞ)えを(いただ)(なん)かここまでやって(まい)ました。

 

御書(ごしょ)

()(きそ)はずんば 正法(しょうぼう)()べからず』との()金言(きんげん)がございますが、

()()ものは、たとえ(すこ)(こころ)(すき)でも見逃(みのが)(こと)なく(きそ)って()

()(きそ)うと()(こと)(まこと)(ほう)(ちか)()いた証拠(しょうこ)でもあるが、油断(ゆだん)なく、しっかりと(きも)(めい)じて、さらに精進(しょうじん)して()(こと)です』と()()指導(しどう)(いただ)(こと)もございます。

また、(わた)しが(うえ)世界(せかい)()(いただ)たと()(こと)は、特別(とくべつ)(こと)ではないと(おも)ます。

これは(まこと)(ほう)修行(しゅぎょう)して()(もの)ならば、(だれ)しも(こころ)(なか)存在(そんざい)するものをひとつの修行(しゅぎょう)(ため)手段(しゅだん)として、()(あた)られたものと(はい)ます。(けっ)(わた)しの生命(せいめい)(ゆえ)ではないと()(こと)です。

 

それからひとつお(ことわ)させて(いただ)(こと)は、(わた)しが()られた天上界(てんじょうかい)でのあの素晴(すば)らしい天人(てんにん)()天上界(てんじょうかい)皆様(みなさま)が、年中(ねんじゅう)あのような(こと)をして()して()()(こと)ではありません。

もちろん天上界(てんじょうかい)での()しは、素晴(すば)らしいものに間違(まちが)はありませんが、(中略(ちゅうりゃく))たまたま天上界(てんじょうかい)での(なに)祝典(しゅくてん)にぶつかった(ところ)()(いただ)たものと(はい)ます。