()悉檀(しつだん) 1/2

()悉檀(しつだん)とは】

()悉檀(しつだん)とは、竜樹(りゅうじゅ)菩薩(ぼさつ)が『(だい)()()(ろん)』において(ほとけ)教法(きょうほう)(説法(せっぽう))(よっ)つに()けて説明(せつめい)したものです。

 天台(てんだい)大師(だいし)の『法華(ほっけ)(げん)()』には、悉檀(しつだん)言葉(ことば)意味(いみ)について、

(しつ)(ことば)(へん)なり、(だん)(はん)じて()()す。(ほとけ)()(ほう)(もっ)(あまね)衆生(しゅじょう)(ほどこ)す。(ゆえ)悉檀(しつだん)()うなり」(法華(ほっけ)(げん)()釈籤(しゃくせん)会本(えほん) (じょう)119(ぺーじ))

説明(せつめい)しています。

 

すなわち、「(しつ)」とは(あまね)くすべてに(およ)ぶの()、「(だん)」とは(ほどこ)すの()であり、悉檀(しつだん)とは(ほとけ)がすべての衆生(しゅじょう)(たい)して利益(りやく)(ほどこ)すこと、またその方法(ほうほう)意味(いみ)します。

 (ほとけ)衆生(しゅじょう)(みちび)くために方便(ほうべん)(ふく)むたくさんの(おし)えを()かれましたが、それは、(ほとけ)()悉檀(しつだん)(もち)いて(ほう)()いたからです。

 

 ()悉檀(しつだん)とは、世界(せかい)悉檀(しつだん)為人(いにん)悉檀(しつだん)退治(たいじ)悉檀(しつだん)第一(だいいち)()悉檀(しつだん)(よっ)つです。

 

一、          世界(せかい)悉檀(しつだん)楽欲(ぎょうよく)悉檀(しつだん)

世間(せけん)衆生(しゅじょう)(のぞ)んで(ほっ)するところ、人々(ひとびと)(こころ)(したが)って(ほう)()いて歓喜(かんぎ)させ、利益(りやく)(あた)えて(みちび)方法(ほうほう)

 

二、          為人(いにん)悉檀(しつだん)生善(しょうぜん)悉檀(しつだん)

各各(かくかく)為人(いにん)悉檀(しつだん)とも()い、(ほとけ)がそれぞれの衆生(しゅじょう)能力(のうりょく)性質(せいしつ)などに(てき)した(ほう)()き、衆生(しゅじょう)善心(ぜんしん)善根(ぜんこん)増長(ぞうちょう)、または(しょう)じさせていく方法(ほうほう)

 

三、          退治(たいじ)悉檀(しつだん)断悪(だんなく)悉檀(しつだん)

間違(まちが)った(かんが)えを(あらた)めさせて、煩悩(ぼんのう)悪業(あくごう)(おう)じた方法(ほうほう)によって(あく)(だん)じて退治(たいじ)すること。衆生(しゅじょう)三毒(さんどく)(*1)退治(たいじ)させるために、貪欲(とんよく)(もの)には()(じょう)(かん)瞋恚(しんに)(もの)には慈悲(じひ)(こころ)愚痴(ぐち)(もの)には因縁(いんねん)(とう)()いて(かん)じさせること。

 

四、          第一(だいいち)()悉檀(しつだん)(にゅう)()悉檀(しつだん)

(まえ)(みっ)つが段階的(だんかいてき)化導(けどう)方法(ほうほう)であるのに(たい)して、第一(だいいち)()である真実(しんじつ)(ほう)(ただ)ちに()いて、衆生(しゅじょう)真理(しんり)(おし)(さと)らせること。

 

世界(せかい)為人(いにん)退治(たいじ)悉檀(しつだん)(みっ)つは、第一(だいいち)()悉檀(しつだん)へと(みちび)くための段階的(だんかいてき)方便(ほうべん)化導(けどう)であり、厳密(げんみつ)には真実(しんじつ)とは()えません。『(だい)()()(ろん)』には、(ほとけ)種々(しゅじゅ)(ほう)()くのは、第一(だいいち)()悉檀(しつだん)()くためであると(しめ)されており、最後(さいご)第一(だいいち)()悉檀(しつだん)(もっと)重要(じゅうよう)になります。

 

 

摂折(しょうしゃく)二門(にもん)

摂折(しょうしゃく)二門(にもん)とは摂受(しょうじゅ)(もん)折伏(しゃくぶく)(もん)のことです。

摂受(しょうじゅ)摂引容受(しょういんようじゅ)()で、それぞれの機根(きこん)()わせた(おし)えを()き、相手(あいて)(あやま)りを(ただ)ちに破折(はしゃく)せずに、次第(しだい)(あやま)りを()して真実(しんじつ)誘引(ゆういん)する方法(ほうほう)です。

折伏(しゃくぶく)破折(はしゃく)屈伏(くっぷく)()で、(じゃ)()(ゆる)さず、(ただ)ちに悪法(あくほう)破折(はしゃく)して正法(しょうぼう)帰依(きえ)させることです。

()悉檀(しつだん)摂折(しょうしゃく)二門(にもん)(はい)すると、世界(せかい)悉檀(しつだん)為人(いにん)悉檀(しつだん)(ふた)つが摂受(しょうじゅ)(もん)退治(たいじ)悉檀(しつだん)第一(だいいち)()悉檀(しつだん)(ふた)つが折伏(しゃくぶく)(もん)になります。

 

 天台(てんだい)大師(だいし)は『法華(ほっけ)(げん)()』に、

法華(ほっけ)折伏(しゃくぶく)して権門(ごんもん)()()す」(法華(ほっけ)(げん)()釈籤(しゃくせん)会本(えほん) ()502(ぺーじ))

()かれており、法華経(ほけきょう)唯一(ゆいいつ)真実(しんじつ)(おし)えであるため、法華経(ほけきょう)()くことは(かなら)爾前(にぜん)権教(ごんきょう)破折(はしゃく)する折伏(しゃくぶく)化導(けどう)となります。

 しかし、正法(しょうぼう)像法(ぞうぼう)時代(じだい)衆生(しゅじょう)は、過去世(かこせ)妙法(みょうほう)との下種(げしゅ)結縁(けちえん)がある(ほん)()()(ぜん)衆生(しゅじょう)であり、その場合(ばあい)には法華経(ほけきょう)文上(もんじょう)以下(いか)熟脱(じゅくだつ)(おし)えによって段階的(だんかいてき)(みちび)くという、摂受(しょうじゅ)(もち)いられました。

 

 総本山(そうほんざん)(だい)二十六(にじゅうろく)(せい)(にち)(かん)上人(しょうにん)は『末法(まっぽう)相応(そうおう)(しょう)』に、

末代(まつだい)(ほん)未有(みう)(ぜん)衆生(しゅじょう)にして()下種(げしゅ)(とき)なり、(ゆえ)世界(せかい)為人(いにん)(はい)して退治(たいじ)第一(だいいち)()()つ。(よろ)しく諸宗(しょしゅう)(じゃ)()()して五字(ごじ)正道(しょうどう)(ひら)かしむべき(ゆえ)に、末法(まっぽう)(おい)ては摂受(しょうじゅ)(もん)()てて折伏(しゃくぶく)(もん)(もち)うべし」(六巻(ろっかん)(しょう)128(ぺーじ))

 

と、正像(しょうぞう)時代(じだい)とは(こと)なり、末法(まっぽう)衆生(しゅじょう)過去世(かこせ)において妙法(みょうほう)下種(げしゅ)結縁(けちえん)がない(ほん)未有(みう)(ぜん)衆生(しゅじょう)ですから、(じゃ)()邪宗(じゃしゅう)(ゆる)すことなく折伏(しゃくぶく)(ぎょう)じ、本因(ほんにん)下種(げしゅ)妙法(みょうほう)下種(げしゅ)すべき(とき)であると()かれています。