私達は何年信心をして来ていても一人では中々、悟る事が出来ないものです。やはり真実の法を共に修行する同志がいて、お互いに励まし合い、そして助け合い、ディスカッションしながら、共に研鑽して行く…。その中に本当の精進もあり、自分の境界を開いて行くカギがあるのではないでしょうか。
ただ信心歴が長いから、短いからというものではないと思います。悟る者は、たとえ信心歴は短くとも悟ります。また何十年信心をして来ても悟れない者は悟れません。それは出家・在家関係なくです。
よく人は教えていながら教えられるという事を言いますが、正にその通りです。私くしも同じでした。自分の孫のような健一君に教えていながらも教えられました。だからと言って私くしが成仏の境界になったと言う事ではありません。生命には、それぞれの段階があって、上には上があり、仏になる道は厳しいのだと思います。ですから「一生が修行」という事になるでしょうね。
それ以後もいろんな事があります。
そして、つい最近・法華経〔法〕の方より御言葉を頂きました。
(法華経〔法〕の方よりの御言葉 〔平成10年8月17日〕)
『真実の法に覚醒して20年、一段と大きく本物となるための試練と受けとめ技と共に一層励め』
それと、もうひとつ私達グループに下さったメッセージがあります。
(法華経〔法〕の方よりのメッセージ 〔平成7年2月2日〕)
『真我に目ざめし我が心 法に導かれ集いし友 いつの世か共に手をとり学びし時 かたい約束契りしを 今果たさんこの世にて』
ですから考えて見れば、私くし達グループは今生で偶然に知り合った者ではなく、過去に学び合った同志が法に導かれ、再び巡り逢う事が出来たと言う事なのでしょう。
その時、どういう約束をしたかと言う事は、忘れているかも知れませんが、この真実の法を弘めて行く為に、一人でも多くの民衆を救って行く事ではなかったのではないでしょうか。
いずれにしても、法の為に頑張って行きたいものです。
『法を見つめて』 終わり