法をみつめて⑥

私達(わたしたち)何年(なんねん)信心(しんじん)をして()いても一人(ひとり)では中々(なかなか)(さと)(こと)出来(でき)ないものです。やはり真実(しんじつ)(ほう)(とも)修行(しゅぎょう)する同志(どうし)がいて、お(たが)(はげ)()、そして(たす)()、ディスカッションしながら、(とも)研鑽(けんさん)して()…。その(なか)本当(ほんとう)精進(しょうじん)もあり、自分(じぶん)境界(きょうがい)(ひら)いて()カギがあるのではないでしょうか。

ただ信心歴(しんじんれき)(なが)から、(みじか)からというものではないと(おも)ます。(さと)(もの)は、たとえ信心歴(しんじんれき)(みじか)とも(さと)ます。また何十年(なんじゅうねん)信心(しんじん)をして()(さと)ない(もの)(さと)ません。それは出家(しゅっけ)在家(ざいけ)関係(かんけい)なくです。

 

よく(ひと)(おし)ていながら(おし)られるという(こと)()ますが、(まさ)その(とお)です。(わた)しも(おな)でした。自分(じぶん)(まご)のような健一君(けんいちくん)(おし)ていながらも(おし)られました。だからと()(わた)しが成仏(じょうぶつ)境界(きょうがい)になったと()(こと)ではありません。生命(せいめい)には、それぞれの段階(だんかい)があって、(うえ)には(うえ)あり、(ほとけ)になる(みち)(きび)いのだと(おも)ます。ですから「一生(いっしょう)修行(しゅぎょう)」という(こと)になるでしょうね。

それ以後(いご)もいろんな(こと)があります。

 

そして、つい最近(さいきん)法華経(ほけきょう)(ほう)〕の(かた)より()言葉(ことば)(いただ)ました。

法華経(ほけきょう)(ほう)〕の(かた)よりの()言葉(ことば) 〔平成(へいせい)10(ねん)8(がつ)17(にち)〕)

真実(しんじつ)(ほう)覚醒(かくせい)して20(ねん)一段(いちだん)(おお)本物(ほんもの)となるための試練(しれん)()とめ(わざ)(とも)一層(いっそう)(はげ)

 

それと、もうひとつ私達(わたしたち)グループに(くだ)ったメッセージがあります。

法華経(ほけきょう)(ほう)〕の(かた)よりのメッセージ 〔平成(へいせい)7(ねん)2(がつ)2(ふつか)〕)

真我(しんが)()ざめし()(こころ) (ほう)(みちび)(つど)いし(とも) いつの()(とも)()をとり(まな)(とき) かたい約束(やくそく)(ちぎ)しを (いま)()たさんこの()にて』

 

ですから(かんが)()ば、(わた)(たち)グループは今生(こんじょう)偶然(ぐうぜん)()()(もの)ではなく、過去(かこ)(まな)()同志(どうし)(ほう)(みちび)れ、(ふたた)(めぐ)()(こと)出来(でき)たと()(こと)なのでしょう。

その(とき)、どういう約束(やくそく)をしたかと()(こと)は、(わす)ているかも()ませんが、この真実(しんじつ)(ほう)(ひろ)()(ため)に、一人(ひとり)でも(おお)民衆(みんしゅう)(すく)()(こと)ではなかったのではないでしょうか。

いずれにしても、(ほう)(ため)頑張(がんば)って()たいものです。

 

(ほう)()めて』 ()