天上編④

(わた)しは(しばら)くその世界(せかい)()がら、そのメロディーに()惚れ(ほ )ておりましたら、そのメロディーに()じって(ひと)(こえ)()えて()ような()したのです。…が(だれ)()ないのです。

(なに)()のせいかな」とも(おも)たのですが、その(とき)なのです。(また)何処(どこ)からか(なん)()ない(かお)(ただよ)()のです。

 

「あー、(なん)()()(かお)なんだ。これが天上界(てんじょうかい)(かお)()ものなのかな。」瞬間(しゅんかん)そう(おも)ました。

自然(しぜん)身体(からだ)がジーンとして()、うっとりとなってしまい、とろけてしまうのではないかと(おも)たくらいです。

 

しかし、その(とき)

『そんな(こと)満足(まんぞく)している(とき)ではない。(まこと)(ほう)(とな)ている(もの)が、これぐらいの(こと)(おどろ)ていてどうする。しっかりしなさい。その(ため)(いま)まで色々(いろいろ)実践(じっせん)知識(ちしき)()()けて()のではないのか。』()ような(こえ)が、(わたし)(むね)(なか)()えて()ような()したのです。

 

「そうだ…、その(とお)だ。これも(わたし)信心(しんじん)をお(ため)になられているのかも()ない。

(なん)()(おろ)(もの)だ。しっかりしろ。」(わたし)自分(じぶん)()()せました。

(じつ)以前(いぜん)にも、こう()(こと)があり、その(とき)はあまりの素晴(すば)らしさに、フラフラになってしまっておりました。

今度(こんど)大丈夫(だいじょうぶ)だぞ。よし、これを機会(きかい)にゆっくり探訪(たんぼう)させて(いただ)う。」

そう(おも)(きゅう)(また)勇気(ゆうき)()()(たの)くなって()した。

 

その(とき)また、(すず)()ような(うつく)音色(ねいろ)(こえ)(ひと)(こえ)()えて()のです。

貴方(あなた)は、この世界(せかい)(かた)ではありませんね。』

(なに)確認(かくにん)するような口調(くちょう)でもあるように(おも)ました。

「はっ、はい。」

(わたし)(おも)射的(はんしゃてき)にそう(こた)(よこ)()と、(また)これ(なん)(うつく)いの(なん)って、ビックリするほどの女性(じょせい)()ているではありませんか。

 

()いた(くち)がふさがらなくなったと()のは、この(こと)()のではないかと(おも)ました。

(おどろ)なと()(ほう)無理(むり)です。こんな(すご)美人(びじん)()(こと)がない。(なん)()言葉(ことば)(あら)わして()のやら言葉(ことば)(ぜっ)ます。

まあ、天女(てんにょ)とでも()ておきましょうか。(かお)()(はだ)()姿(すがた)()()いる衣装(いしょう)()天女(てんにょ)としか()ようがないのです。(あと)()想像(そうぞう)にお(まか)(いた)ます。

 

すると天女(てんにょ)()、『(わた)しが、これより()案内(あんない)(いた)ます。』これも(すず)()るような(うつく)(こえ)()のです。

「だが()てよ…。」不思議(ふしぎ)(こと)にあまり(くち)(うご)しているようには()ないのです。

「すると一体(いったい)(こえ)はどこから()いるのかな。」

ただ(わたし)()って(やさ)微笑(ほほえ)みかけ、その()(なん)魅力( み りょく)(てき)なのです。

「〔()(くち)ほどにものを()〕と()()かな。そんな馬鹿(ばか)な…。」そう(おも)ました。

 

しかし、(あと)(かんが)てみれば不思議(ふしぎ)でも(なん)もなく、仏法(ぶっぽう)から()()たり(まえ)(こと)なのです。

つまり、これは人間(にんげん)(てき)意識(いしき)から()からそう(おも)のであって、人間(にんげん)肉体的(にくたいてき)意識(いしき)霊的(れいてき)意識(いしき)二つ(ふた  )(そな)ているのです。

 

肉体的(にくたいてき)意識(いしき)とは「五(かん)」を()ます。

そこで(かん)たものを自分(じぶん)(あたま)(かんが)られる範囲(はんい)能力(のうりょく)()のですが、これとは反対(はんたい)霊的(れいてき)意識(いしき)とは肉体(にくたい)とは(べつ)自分(じぶん)生命(せいめい)、つまり(れい)()っている能力(のうりょく)(こと)()ます。

肉体(にくたい)がなくなった(あと)霊的(れいてき)能力(のうりょく)がすべてとなっていくのですが、これは肉体的(にくたいてき)能力(のうりょく)(くら)、その数十倍(すうじゅうばい)能力(のうりょく)()ています。

人間(にんげん)である(とき)肉体(にくたい)があるから、あまり発揮(はっき)できませんが、それでもけっこう(もち)いているものです。直感(ちょっかん)とか霊感(れいかん)とか()れているものも、そのひとつです。

 

また霊界人(れいかいじん)になってもなりたてには、霊的(れいてき)意識(いしき)(なか)人間(にんげん)(てき)感覚(かんかく)(のこ)ていて、霊的(れいてき)意識(いしき)中々(なかなか)目覚(めざ)めようとしません。

これを〔()がら()〕と()ておりますが、本当(ほんとう)(れい)になってしまえば、すべて(こころ)(おも)だけで相手(あいて)交信(こうしん)出来(でき)てしまいます。これが(こえ)のようになって、相手(あいて)(むね)(ひび)()のです。この一念(いちねん)波動(はどう)()ものは、自分(じぶん)のコントロールによって、無限(むげん)までにも(とど)とも()れており、天女(てんにょ)(こえ)もこの原理(げんり)なのです。

(くち)(うご)ないのに(こえ)()えて()…つまり天女(てんにょ)(こころ)(おも)(ねん)が、波動(はどう)となって(わた)しの(むね)(こえ)のように(ひび)()()(こと)なのです。

 

しかし(わた)しは肉体(にくたい)人間界(にんげんかい)()()いる幽体(ゆうたい)離脱( り だつ)状態(じょうたい)ですから、人間(にんげん)(おな)ような感覚(かんかく)でものを(かんが)てしまう(ため)不思議(ふしぎ)だと(おも)てしまうだけで、霊界(れいかい)では()(まえ)(こと)なのです。

 この(こと)(また)(あと)(ぺーじ)()ることに(いた)ますので(はなし)(もど)します。