それから3ヶ月後の5月4日頃、(中略)去年と同じように心臓の方も、一分間に3回位休む…一体これはどのようになっているのか、さっぱり分かりません。
しかし5日目位から、だいぶおさまって来まして、5月10日の昼間、私の方の班員さんである宮本さん(仮名)と佐藤健一君(仮名)が来てくれました。
久しぶりに法の話に花が咲き、その夜今度は私の方から健一君の家を訪問して、その家族の皆様と健一君を交え、色々と法の話をしておりました。
そんな時、健一君が、「絵が描きたくなった。」と言い、二階に上がって行ってしまいました。
それから1時間20分位経ってから下りて来まして、左手に画用紙を持ち「描けました。」と言って一枚の絵を見せてくれました。
その絵は普通の人が見ても、すぐに理解のできるものではありませんが、「悟り」と題したその絵は、真中に光の中心があって、その中心から十方へ向かって放す白金の光…。光というより光の渦です。
もしこれが現実に三次元〔人間界〕で起こったとしたら、大聖人様の「竜ノ口での法難」の時のように我々は、目がくらみ倒れてしまうかも知れません。健一君のお母さまですら、その絵を見た時に「目が痛い…」と言って目をおさえたくらいです。
その白金輝く光の中に何万と言う仏菩薩の生命体が居られるのです。
これは健一君が自動画記で法華経〔法〕の方から描かされたもので、自分が意識して描いたものではありません。
ですから、その時に法華経〔法〕の方から、「この位のクラスの絵は自分の一生の内に、二十枚とは描く事が出来まい。」と言われたそうです。
健一君も、この絵を描くのに「途中で2回も休み ましたよ。」と言っておりました。
また「もし、もう一枚描いたとすれば僕は心臓が止まってしまうかも知れません。」とも言っておりました。
私くしは、「これだけの凄いエネルギーをまともに受けて描く事の出来るのは、通常の人では到底出来るものではない」と思いました。これだけを見ても、その方の生命の次元が分かります。
ですから健一君が真実の法に目覚めた時の変身ぶりは、目を見張るものかあり、到底、常識では考えられません。
健一君は(当時)高校生なのですが、春休みの新学期が始まる僅かな期間で、学校の先生や生徒からも見違えられたと言われておりました。先生などは健一君の名前を呼びながら、本人が振り返ると‘キョトン’とした顔をし、
「佐藤か…? 佐藤だな…」と言い、念をおすような始末だったそうです。その位の変身ぶりだったのでしょう。
しかし先生が見て、そのように言ったのは、健一君の「外相」を見て言ったのだと思いますが、外相ばかりではなく健一君の生命すべて、十如是そのものが変わって来ています。
この健一君に、私くしが初めて逢った時から不思議な事に、健一君が可愛くてならないのです。
その可愛さと云うのは、自分の子供や孫の可愛さとは別のもので、なんと言葉に表わして良いのか分かりません。顔を見るだけでも声を聞くだけでも良いのです。「元気で頑張っているんだな」と言う事だけでも分かれば安心するのです。
大きな身体をしていて、私は何時も見上げるような、身長が185cm位あるそうですが、何故この子がこんなに可愛いのか本当に不思議な事です。きっとこれは、過去から〔法〕を通じての深い宿縁によるものとしか考えられません。
そして描いてくれたその絵は、私くしが平成10年2月9日の夜に「私なりに悟った時の絵」だと言うのです。私がそのように言われた時、自分で自分を疑った位でした。
確信は持ったとはいえ、これほどの生命状態になっていたなんて、信じられなかったのです。でもこれは、私の己心の中で起こった現証で直接目に見えるものではありません。
お釈迦様の宝塔の儀式ではないけれど、空の次元・四次元での出来事なのです。つまり、「生命の世界での事」とでも申しましょうか。
私くしは、その絵を見てから次の朝、心臓も身体の調子もすっかり治ってしまったではありませんか。
今まで自分が悟ったとはいえ、自分の心の何処かで自分にはまだ分からない半信半疑の所があったのかも知れません。それを健一君の絵によって初めて教えられたのです。